『生きがいの創造』は、「人生に意味はあるのか」という、誰もが一度は抱く問いに、正面から挑んだ本です。著者は、もともと大学で経営学を教えていた飯田史彦氏。意外なことに、その手がかりとして選んだのが、「生まれ変わり」をめぐる研究でした。退行催眠や臨死体験の事例を集め、「魂は、学ぶために生まれてくるのではないか」という、大胆な仮説を提示します。
スピリチュアルな本だと身構える人もいるかもしれません。けれど、著者の姿勢は、意外と冷静です。「これを事実として信じなさい」とは言わない。「もし、そう考えると生きやすくなるなら、ひとつの仮説として使ってみては」と差し出す。つまり本書の芯にあるのは、生まれ変わりの真偽そのものより、「つらい出来事にも、自分で意味を与えられる」という、もっと普遍的なメッセージなのです。いま一番つらい出来事を、あなたは何と呼んでいますか?
著者と本の立ち位置
著者の飯田史彦氏は、もともと大学で経営学を研究していた人物です。学問の世界にいた人が、なぜ「生まれ変わり」というテーマに踏み込んだのか。背景には、人生の苦しみや、生きる意味をめぐる、切実な問いがありました。
本書で飯田氏は、臨死体験の研究や、退行催眠で語られる「前世の記憶」といった事例を、ていねいに紹介していきます。ただし、それらを断定的に「真実だ」と押しつけることはしません。あくまで、人生をより良く生きるための「仮説」として提示する。その慎重な距離感が、本書を、ただのスピリチュアル本とは少し違うものにしています。断定しないことが、この本の強度になっている。
「生まれ変わり」という、ひとつの仮説
本書が提示する仮説の中心にあるのは、「魂は、成長し、学ぶために、何度も生まれてくる」という考え方です。この見方に立つと、人生で出会うつらい出来事は、ただの不運ではなく、「魂が学ぶために、自ら選んだ課題」として、意味を持ちはじめます。
証明の外側で、この仮説は働く
もちろん、これは科学的に証明された事実ではありません。臨死体験や前世の記憶をどう解釈するかは、いまも議論の分かれるところです。だから、この仮説を信じるかどうかは、読む人にゆだねられています。大事なのは、この見方を一度のぞいてみると、自分の苦しみの意味が、まるで違って見えてくる——その体験のほうです。

信じる・信じないより、「意味を与える」こと
本書の本当の価値は、生まれ変わりが本当かどうか、という点にはないと思います。もっと大切なのは、「出来事の意味は、自分で決められる」という視点です。同じ苦しみでも、「ただの不幸」と受け取るか、「何かを学ぶための機会」と受け取るかで、その後の生き方は大きく変わります。私自身、あの遠回りに意味を与えられるようになったのは、ずいぶん後になってからでした。
フランクル氏も、同じ場所に立っていた
これは、心理学者のフランクル氏が、過酷な状況のなかでも「意味」を見出した人が生き抜いた、と記したことにも通じます。意味は、外から与えられるのを待つものではなく、自分で見出し、与えていくもの。本書のスピリチュアルな衣をはいでいくと、その芯には、こうした普遍的で、力強い人生観が横たわっています。

四国の工場で、人生の舵が切られた
「あの試練には意味があった」と、いまなら言えることがあります。就職氷河期に、新卒で製紙メーカーに入社した時のことです。内定がなかなか決まらない中で上場企業に採ってもらい、家族も喜んでくれて、自分はどこか疑問を抱えたまま入社しました。採用およそ200人のうち、四国の工場に配属されたのは5人。まさかの、その一人が私でした。自然は豊かでしたが、工場での素材管理の仕事にどうしても面白みを見いだせず、「このまま一生この会社で過ごすのか」と想像するだけで恐ろしくなった。それで約1年で退職し、もともと興味のあったアパレルの世界へ、経験を積むところから舵を切りました。
当時は挫折としか思えなかったあの1年が、「自分の人生は自分でコントロールする」という私の軸を作ってくれた。意味は、あとから自分で与えるものなのだと思います。
明日から試せること
- つらい出来事に直面したとき、「これは、自分に何を学ばせようとしているのか」と、一度だけ問い直してみる。
- 「自分の人生の意味は何か」を、誰かにもらうのではなく、自分の言葉で、ひとつ書いてみる。
- 誰かのために、小さく何かをしてみる。人に意味を与えることが、自分の生きがいにつながっていく。
答え合わせは、しなくてかまいません。意味は、正解を当てるものではなく、自分で「そう決める」もの。決めた瞬間から、出来事の見え方が変わりはじめます。
信じるかどうかは、脇に置いていい
読むうえで一つだけ。本書の内容を、科学的に証明された事実として受け取らないことが大切です。生まれ変わりや臨死体験の解釈は、いまも定まっておらず、懐疑的な見方も当然あります。信じることを、無理に自分に課す必要はありません。
語り口が苦手な人の、読み方
スピリチュアルな語り口が苦手な人は、最初は身構えるかもしれません。けれど、その部分はいったん脇に置いて、「意味は自分で与えるもの」という芯だけを受け取る、という読み方もできます。とくに、人生のつらい時期にいる人にとっては、心を支える一本の杖になりうる本です。距離の取り方は、自分で選んでいい。それを許してくれる本でもあります。
こんな人に効きそうか
いま、人生のつらい出来事のただ中にいて、「なぜ自分が」と意味を見失っている人。生きる意味について、一度じっくり考えてみたい人。そういう人に、苦しみを別の角度から眺めるための、新しいレンズをくれます。
逆に、根拠やデータを重んじ、スピリチュアルな前提をどうしても受け入れられない人には、合わないかもしれません。その場合は、無理せず、「意味を見出す」ことを正面から扱った別の本から入るのも、ひとつの道です。
読み終えて

この本が最後に残すのは、生まれ変わりを信じるかどうか、という問いではありません。残ったのは、「意味は、もらうものではなく、与えるものだ」という、静かな確信のようなものです。どんな出来事も、それ自体には、良いも悪いもない。そこに意味を見出すのは、いつも自分自身です。
つらいことの渦中では、なかなかそうは思えません。それでも、「これは何を学ぶためだろう」と一度問うてみるだけで、足元が少し変わります。信じる・信じないを超えて、その問いの力だけは、確かに手元に残る本でした。
📖 『生きがいの創造』 飯田史彦



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