『〈神様学〉入門 ほとんどすべての人のための』村松恒平|お金も組織もない、気楽な神様とのつきあい方 (1999)

『ほとんどすべての人のための〈神様学〉入門』村松恒平 表紙 生き方・人間関係
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村松恒平氏は1954年、東京の生まれ。新聞社をへてJICC出版局(現・宝島社)に入り、のちに「言葉のクロッキー」と名づけた独自の文章術で知られるようになった文筆家・編集者です(代表作に『文章王』があります)。その村松氏が1999年に洋泉社から出したのが、本書『ほとんどすべての人のための〈神様学〉入門』。タイトルは仰々しいのですが、中身はまるで逆で、肩の力が抜けたユーモアたっぷりの「神様とのつきあい方」入門になっています。帯にある「感動した! 面白い! わかりやすい!」が、そのまま読後感になる一冊です。

スタンスははっきりしています。これは宗教ではありません。布施もお布施もなく、組織も偶像も聖地も寺院も神社もない。「あなたは一冊の本の読者であれば、簡単に神様とつきあえる」——定価以外に一円もかからない、というわけです。信仰の重さをいったん取り払って、神様を身近な“話し相手”の高さまで引き下ろしてしまう。その身軽さが、本書の出発点になっています。

迷ったら、自分が楽になる考え、自然な考え、自由に感じる考えを選びなさい。
それが神の考えにいちばん近い。

朝霧の湖を望む窓辺に向かい合う籐の椅子2脚と湯気の立つカップ。気楽な話し相手としての神様との対話のイメージ

まずは「気楽な神様」の見分け方から

村松氏はのっけから、つきあうに値する“気楽な神様”の条件を四つあげます。

  • 共存共栄であること 他の宗教の神様や教義も平気で認めて、争いません。だから宗教戦争を起こしません。
  • 偶像崇拝がない 形のあるものを拝まないので、お金も手間もかかりません。
  • 多神教である 一神教はなぜか戒律が厳しくなりがちですが、多神教なら「厳しい神様なら別のところへ行けばいい」。著者いわく“神様もチョイスの時代”です。
  • 不干渉・放任主義である 人類がどんなにバカなことをしても、円盤に乗って飛んできて干渉したりしません。

四条件を満たす神さんを、一人だけ呼び出す

この四条件を満たす「大らかで気楽な神さん」を一人だけ呼び出して、著者がインタビューしていく——これが本書の枠組みです。堅い神学書ではなく、神様との“対話劇”として読み進められます。

何もない明るい部屋の隅に、高窓から斜めの光の柱が差し、光の中に埃が漂う。目に見えない働きの見取り図のイメージ

第一章 神界のしくみとサービス

最初の章は、いわば“あの世”の見取り図です。神様は「便利屋」で、こちらのインタビューにもあっさり応じてくれます。死後の世界はどうなっているのか、転生のときに何を持っていけて何を持っていけないのか(「心は転生しない」)、そして「人間が死ぬように設計されている合理的理由」とは何か。重いはずのテーマを、著者は軽い口調で次々にさばいていきます。一神教を“ワンマン社長の会社”にたとえるなど、比喩のセンスが全編で効いています。重い問いほど、軽い比喩で運ばれる。

第二章 神様的思考法

1999年という出版年が、いちばん顔を出すのがこの章です。世紀末を騒がせたノストラダムスの予言を「競馬の予想屋だったら三流」と一蹴し、占いや加持祈祷、運命を“記録する磁気媒体”とみなす見立て、「宗教は小さな国家」といった切り口で、人が神や運命をどう思考に組み込むのかを解体していきます。信じるか信じないかではなく、“どう考えるか”をめぐる章です。

第三章 世の中が悪いのは神の責任か?

ここで本書は倫理へ踏み込みます。意識とは「高度化した本能」にすぎず、善悪の基準に普遍的なものはない。「意識はすべて独善」だと言い切り、善意が暴走するときの危うさを“善のエイズ”と呼びます。なぜ人は人を殺すのか、善と幸福の本質とは何か。世の中の悪さを神のせいにして終わらせない、という覚悟が通底する章です。

第四章 神様の根本原理——そして「神は証明できない」

最終章は、生命の発生と偶然、無神論、「人間はなぜ生きるのか」へと進んでいきます。呼び出された神さんは、こう語ります。神とは「信じる/信じない」という知的な作業の対象ではなく、日が昇れば太陽に、風が吹けば風に“感じてきた”ものなのだ、と。そのうえで、神の存在は証明不可能であり、その証明不可能性こそ簡単に証明できる、とうそぶくのです。理屈で神を追い込みながら、最後はその理屈の外へひらりと抜けていく。この身のこなしが、読んでいて気持ちいいのです。

いちばん大きな「ありがたい偶然」

目に見えない働きへの感謝、と聞いて私が思い浮かべるのは、もっと手前にある事実です。出会いはすべて奇跡だと思いますが、そもそも、安全で、食事が美味しくて、これでも比較的自由で平和なこの国に生まれたこと自体が、とてつもなくありがたい偶然です。自分の努力でも選択でもない、ただ与えられた初期条件。そこに気づくと、日々の小さな不満の前に、まず「ありがたい」が先に立つようになります。本書の言う謙虚さの入口は、案外こういう当たり前の再発見なのかもしれません。

売り場に立っていた頃も、ありがたい偶然に助けられることがありました。ふらりと立ち寄ってくださったお客様とのご縁が、何年もあとに思わぬ形で仕事につながったこともあります。目に見えない働きへの感謝を、私はそのくらいの距離感で受け取っています。

読み終えて残る、ひとつの指針

明るい昼下がりの野原へ、内側から開け放たれた古い木の門扉。楽で自由なほうを選ぶ指針のイメージ

結びは、あっけないほど簡単です。二つの考えのあいだで迷ったら、自分が楽になる方、自然な方、自由に感じる方を選ぶ。それが「神の考えにいちばん近い」。「簡単すぎる? それでいいのだ。神の道はどこにでも通じている」——そう言い残して、神さんは去っていきます。

信じる・信じないの綱引きから降りる

つまり本書は、神様を信じるための本ではありません。信じる・信じないの綱引きからいったん降りて、もっと気楽に、もっと自由に世界とつきあうための本です。世紀末の終末ムードのなかで書かれたとは思えないほど、読後の気分はからりと明るいのです。

迷ったら、楽になる方、自然な方を選ぶ。振り返れば、組織の勤め方がどうにも肌に合わず、好きなことを選び続けてフリーランスに行き着いた自分の選択も、これに近いものでした。

こんな人に

「神様にはどこかうさんくささを感じる。でも、まったくの無宗教というのも少し寂しい」——そんな宙ぶらりんの場所にいる人に、いちばん効きます。逆に「絶対に信じている」という人は、つきあい方が安易すぎて腹が立つかもしれない、と著者自身が前もって断っています。手放しの肯定でも、冷たい全否定でもなく、その“あいだ”を面白がれる人のための一冊です。

本書は現在絶版で、新刊では手に入りません。読みたいときは、まずお近くの図書館を当たってみてください。蔵書があるかどうかはカーリル(全国の図書館の蔵書検索)でまとめて調べられます。運がよければ、古書店やフリマアプリで見つかることもあります。

📖 『ほとんどすべての人のための〈神様学〉入門』 村松恒平

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