『「エンタメ」の夜明け』は、いまや日本を代表するレジャー施設、東京ディズニーランドが、どのようにして生まれたのかを描いた、実話の物語です。著者は、映画『私をスキーに連れてって』などで知られる、ホイチョイ・プロダクションズの馬場康夫氏。日米三人のプロデューサー——ウォルト・ディズニー氏、そして日本の小谷正一氏、堀貞一郎氏——の、見えない因縁の糸が、やがて一つの夢として結実していく過程を、生き生きと描き出します。
この本が面白いのは、単なる成功物語ではないところです。ラジオ、テレビ、大阪万博。日本のエンタメ産業の黎明期を切り拓いてきた男たちが、いかにしたたかに、そしてロマンを失わずに、巨大な夢を形にしていったか。そこに通底するのは、「大きなものは、十年単位で仕込まなければ作れない」という、覚悟のようなものです。あなたがいま十年かけて育てているものを、一つ挙げられますか?
著者と本の立ち位置
著者の馬場康夫氏は、ホイチョイ・プロダクションズの創業者です。バブル期のトレンドを切り取った映画やマンガで一世を風靡した、エンタメの作り手。だからこの本は、外から眺めた評論ではなく、「面白いものを作る」という現場を知る人ならではの、熱のこもった筆致で書かれています。
ビジネス書のような体裁ではありますが、読み味は、上質なノンフィクション・ドラマに近いものです。実在の人物たちが、知恵と度胸で困難を突破していく姿を追ううちに、いつのまにか「自分も何か大きなものを作りたい」という気持ちが、静かに湧いてきます。
物語のあらすじ
物語の軸になるのは、二人の日本人プロデューサーです。戦後、ラジオやテレビ、そして大阪万博といった舞台で、新しい娯楽の市場を切り拓いてきた小谷正一氏。その情熱を受け継ぐ、堀貞一郎氏。彼らの心をとらえて離さなかったのが、海の向こうで巨大なテーマパークを生んだ、ウォルト・ディズニー氏の偉業でした。
三人の因縁の糸が結ばれるまで
日本に、本物のテーマパークを作る——口にするのは簡単でも、当時としては途方もない夢でした。用地、資金、技術、そして人々の理解。いくつもの壁を、彼らはしたたかに、ときにウィットを武器に、乗り越えていきます。三人の因縁の糸が結ばれたとき、日本のエンターテインメントは、新しい夜明けを迎えました。その高揚を、読者も一緒に味わえます。

「10年仕込める大人」というテーマ
本書を読み終えて、いちばん胸に残るのは、登場する男たちの「時間の使い方」です。彼らは、来季の利益のために動いているのではありません。十年先、二十年先に花開く何かを、いまから黙々と仕込んでいます。すぐに結果が出なくても、信じたものに、長く張り続ける。その腰の据わり方こそが、巨大な事業を生んだ原動力でした。来季の勝ち負けとは、そもそも時計が違う。
夢だけでは回らず、計算だけでは動かない
そして、その仕込みを支えていたのが、「ロマン」と「そろばん」の両立です。夢だけでは、事業は回らない。計算だけでは、人の心は動かない。大きな理想を掲げながら、それを実現するための現実的な算段も、抜かりなく打っていきます。夢見る力と、地に足のついた実務。その両方を併せ持った「大人」だけが、文化と呼べるものを作れるのだ——本書は、そう淡々と語りかけてきます。
仕事に活かせる視点
これは半世紀近く前の物語ですが、そこから受け取れる視点は、いまの仕事にもそのまま通じます。たとえば、「大きな価値は、長い仕込みからしか生まれない」という原則。目の前の成果を急ぐほど、本当に大きなものは遠ざかります。
もう一つは、夢を語る力と、それを通すための現実的な力は、両輪だということ。先に見た「ロマン」と「そろばん」の両立を、本書の男たちは見事に体現しています。

回収できない投資を、定期的に続けていた
世界観づくりへの投資、という点にも覚えがあります。ラグジュアリーブランドに勤めていた頃、店外のビジュアルや店内の装飾は、相当な費用をかけて定期的に変えられていました。すぐに回収できる類の投資ではありません。それでも、長い目でブランドの世界観を守り、付加価値を保つための必要なコストなのだと、現場で学びました。規模こそ違え、ディズニーランドの仕込みと同じ種類のお金の使い方だったのだと、本書を読んで腑に落ちました。
「待たされた時間」も思い出になる
接客業の視点で見ると、ディズニーランドには学ばされっぱなしでした。大学生の頃、当時の恋人と真冬に行ったときは、ただただ寒くて「早く中に入りたい」ということばかり考えながら、長い行列に並んだ記憶があるのですが、不思議なもので、その「待った」という体験さえも、あとから良い思い出に変わっています。待った分だけ期待がふくらみ、楽しさが増幅されるんです。
そして何より、園内には真顔やしかめっ面のスタッフが一人もいない。全員が徹底しておもてなしの精神を持ち、お客様を楽しませています。あのプロフェッショナリズムは、エンタメが人の心をどう動かすかを、体で教えてくれました。
売る側に立っていた二十年でも、自分が渡していたのはモノではなく体験のほうだったな、と思う場面があります。親身に話をしているうちに、お客様という関係を越えていく方がいました。一緒にマラソンに出た方、休みの日にテニスをした方。友人のような付き合いに発展したケースが、いくつもあったんです。
商品を渡した時点で終わる関係なら、そこまでで切れていたはずです。そうならなかったのは、売り場で過ごした時間そのものが、その人にとって何かしらの体験になっていたからだと思います。ディズニーランドが渡しているのがアトラクションではなく一日分の記憶であるように、規模はまるで違っても、向いている方向は同じでした。
明日から試せること
- 自分の仕事や暮らしに、「十年かけて育てたいもの」を、ひとつだけ決めてみる。すぐ結果が出なくても、長く張り続ける対象を持つ。
- 何かを人に提案するとき、「夢(なぜワクワクするか)」と「そろばん(どう実現するか)」を、セットで語る練習をする。
- うまくいっている人の「成功」だけでなく、その裏にあった「長い仕込みの時間」のほうに、目を向けてみる。
結果を、急がないこと。焦って早めた分だけ、たいてい遠回りになります。大きなものは、待てる人のところに、ゆっくりやってきます。
厳密な歴史検証ではなく、熱を伝える読み物
本書は1990年代に書かれた、男たちの仕事の物語です。時代の空気もあって、登場するのはほとんどが男性で、価値観にも当時らしさがあります。そこは、書かれた時代の記録として受け取るのがいいでしょう。
また、ノンフィクションではありますが、読み物として面白く再構成された部分もあります。厳密な歴史の検証として読むより、「大きなものを作った人たちの熱と知恵」を、物語として味わう本だと思って向き合うのが、しっくりきます。
こんな人に効きそうか
何か大きなものを作りたいけれど、目先の忙しさに追われて、長い夢を見失いかけている人。新しい事業や企画に、情熱を注いでいる人。そんな読者は、「十年仕込む」という時間感覚と、夢を現実にする男たちの背中に出会えます。
すぐ使えるノウハウや最新のビジネス理論が欲しい人は、別の本のほうが早いです。これは、手法の本ではなく、「大きなものを作る人の生き様」を、物語として受け取る本だからです。
読み終えて

「面白いものを作る」という仕事の底知れなさを、ものづくりに関わる人に見せたい一冊でした。私たちが当たり前のように楽しんでいるものの裏には、十年単位で夢を仕込み続けた、名もなき「大人」たちの、長い時間がある。その事実を知ると、身のまわりのエンタメを見る目が、少し変わります。
自分は、何を十年かけて仕込むだろう。読み終えたあと、そんな問いが、後を引くように残りました。大きな夢は、すぐには叶いません。それでも、仕込み始めなければ、夜明けは来ない。その当たり前を、熱っぽく思い出させてくれる一冊でした。
📖 『「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た日』 馬場康夫



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