苦しみは「二の矢」で決まる|最高の状態 無 鈴木祐

不安や怒り、孤独や虚無がなかなか消えないのは、性格の弱さではなく脳に組み込まれた構造の問題だった——鈴木祐氏『最高の状態 無』は、人が苦しみから抜けられない仕組みを、原始仏教の経典から神経科学・脳科学の論文までを横断して組み立てた本です。
2021年に出た『無(最高の状態)』に図解を加えた新版で、256ページ。この記事では、苦しみが生まれる順番と、そこから降りていく手順に絞って整理します。
人間は生まれつきネガティブにできている
本書は序章で、人のネガティブさを個人の弱さではなく、種としての初期設定として扱います。
生後3カ月の乳児もネガティブだった
序章が挙げるのは、生後3カ月の乳児にもネガティブへの反応が見られるという話です。
学習や環境で身につく前から、その傾向はすでに備わっている。だから「自分はネガティブな性格だから」という自己評価は、出発点として的を外している、というのが本書の立場です。
原始の世界では、敏感なほうが生き延びた
ではなぜその設定なのか。本書は、原始時代には危険に敏感な個体のほうが生き残ったからだと説明します。
孤独感、鬱と不安、完璧主義。序章はこの3つを、かつて生死を分けた機能の名残として並べています。いまは苦しみの原因になっているものが、もとは生存装置だったという整理です。
苦しみを決めるのは「二の矢」
ここが本書の中心です。
痛みそのもの(一の矢)は避けられない。けれど本当の苦しみは、そのあとに自分で自分へ刺す二の矢で決まる——第1章はそう整理します。
怒りは6秒しか持続しない
本書が引くのは、怒りの持続時間です。第1章の項目名は「“怒り”は6秒しか持続しない」(本書 第1章04)。
6秒を超えて続いているものは、怒りそのものではなく、怒りについて考え続けている状態。延長しているのは出来事ではなく、自分の思考のほうだという話になります。
第1章は、なぜチンパンジーは半身不随でも幸福なのかという問いから始まります。ヒト以外の動物は明日のことをくよくよ考えない、という指摘が続きます。
そして本書は、すべての苦しみは「自己」の問題に行き着くと結論づける。自己を「生存用のツールボックス」と呼び、道具が暴走している状態として苦しみを捉えます。
自己は「物語」でできている
第2章は、その自己が何でできているのかを解体します。
脳は0.1秒でストーリーを立ち上げる
本書は、ヒトの脳が0.1秒でストーリーを生み出すと書いています。
私たちが見ているのは現実そのものではなく、脳が作ったシミュレーション世界。しかも脳は現実よりも物語を重んじる、と第2章は続けます。
「ありのままの自分」はどこにもいない
自己は物語で構成されている。だから「ありのままの自分」を探しても見つからない、というのが第2章の結論です。
ここで本書は、苦しむかどうかはメンタルの強さによらないとも述べます。強い弱いの話ではなく、物語の扱い方の話に置き換えるわけです。
脅威は外からだけでなく、内からも来る
第3章は「結界」という章題で、苦しみを外側と内側の両方から遮る準備を扱います。
本書は、脅威は外だけでなく内からも襲いかかると書きます。だから対策も、自分の内面(セット)と環境(セッティング)の二方向になる。
セット側の手法は2つ。感情の粒度を上げること、そして内受容感覚のトレーニングです。
粒度を上げるとは、「なんとなくつらい」を「落胆」「焦り」「羞恥」のように分解していく作業。内受容感覚のほうは、心拍数トラッキングや筋肉感覚トラッキングで、身体の内側の信号を読む練習として示されます。
セッティング側は、避難所を作ることとグラウンディング。セーフプレイスワークやソーシャルサポート分析で逃げ場を確保し、54321法や暗算法で注意を今に引き戻す、という組み立てです。
自分で作った「悪法」が苦しみを増やす
第4章が「悪法」と呼ぶのは、誰にも頼まれていないのに自分で作って守っているルールです。
本書は、人間を「不要なルール」を捏造して苦しむ生き物として描き、苦しみを左右する悪法を18に分類しています。
対処として置かれているのは、悪法スコアと悪法日誌という2つのワーク。自分がどの悪法をどれだけ抱えているかを数値化し、日誌で追いかけていく手順です。

苦しみ=痛み×抵抗
第5章の等式が、本書のもう一つの核です。
苦しみは痛みと抵抗の掛け算である。痛みをゼロにできなくても、抵抗を下げれば積は小さくなる、という構造になっています。
第5章は、世界で最も幸福だと言われるピダハンの話から入り、抵抗する人と降伏する人の違いを扱います。
抵抗をやめる練習としての「降伏」
本書は抵抗の対象を5つ挙げます。反芻思考、身体イメージ、失敗の記憶、自分の性格、自分の感情です。
そして抵抗の仕組みを、弾丸、ビーチボール、牧草地、庭掃除、地図作りという5つのメタファーで説明します。押し返すほど沈まないビーチボールのように、抵抗そのものが痛みを長引かせる。
第6章では「停止」と「観察」という2段階が示されます。本書は、観察には抗鬱剤に匹敵する効果があるという研究を紹介しています(本書 第6章04)。
そのうえで、思考を止めれば脳の「ミー・センター」も止まると述べ、自己が鎮まった状態をひとつの「場」と呼びます。これが書名の「無」です。

二の矢を抜くのに時間がかかった出来事
一の矢は、大学時代に終わっていました。
大学で部活に入っていたころ、テニスに没頭したい気持ちはあったのに、同期や周りとのつながりに流されて、自分のペースで練習を組むことができませんでした。
出来事としては、それだけです。社会人になってから練習に励んで、腕前は少しずつ上がりました。取り返した部分はあるわけです。
それでも、当時の選択については、いまも恥ずかしいと思い返します。上手くなりたいという自分の気持ちに反して、友達付き合いを優先した。その評価だけは、何十年経っても変わっていません。
本書の整理に当てはめると、これが二の矢です。練習できなかったという痛みは当時で終わっているのに、そのあとの解釈だけを、自分に刺し続けている。
正直に書くと、止まったきっかけはまだありません。思い出すたびに同じ言葉が出てくるので、6秒どころか何十年も反芻していることになります。
「怒りは6秒しか持続しない」を読んだとき、いちばん居心地が悪かったのはここでした。延長しているのは出来事ではなく、自分の思考だと言われている。
「抵抗をやめる」が、いつもうまくいくわけではない
ただ、本書の処方のうち「抵抗を下げよ」という部分は、自分の結論と少し違います。
抵抗したから進路が変わった、という経験があるからです。
付属校にいたので、内部進学というエスカレーターがありました。それなのに、大して学力もないまま、外部受験を選びました。学力が足りないという現実に、正面から抵抗したわけです。
結果として、大学には行けました。
ただし、ここは自分でも疑っています。当時は深く考えていませんでした。学費は親任せで、両親の思いや、学校に対する感謝も実感できていなかった。
いま振り返ると、無謀とも言えることを深く考えずにできたのは、少し恐ろしい。抵抗が効いたのではなく、無知だったから抵抗できただけかもしれません。
それでも、外に出て受験を選んだことは運が良かったと思っています。
さきほどのテニスの話と並べると、線引きが見えてきます。学力は、努力で変えられる側にありました。大学時代の選択のほうは、もう変えられない側です。
変えられるものに抵抗したときは進路が動き、変えられないものに抵抗している間は、何十年も反芻しているだけだった。
本書の「降伏」は、後者に対する話なのだと、いまは読んでいます。抵抗そのものを下げるのではなく、抵抗する相手を選び直す。そう読み替えると、第5章の等式は自分の経験と噛み合いました。
今日からできる一歩
本書のワークから、入口になりそうなものを3つ。
怒りを感じたら、6秒だけ数える。6秒後にまだ続いていたら、それは怒りではなく反芻だと扱い直す。
自分が守っているルールを3つ書き出し、横に「誰に頼まれたか」を書く。空欄が並んだら、それが悪法の候補です。
感情が渦巻いたら、本書のグラウンディング手法である54321法を使う。見えるもの5つ、聞こえる音4つ、というように感覚を数えて、思考から身体へ注意を戻します。
読む前に知っておきたいこと
256ページの新版で、旧版『無(最高の状態)』より図解が増え、実践しやすくなっています。
ただし旧版の第7章「智慧」が終章に再編され、項目名もかなり書き直されています。旧版を読んだ人は、同じ本の増補ではなく編集し直された別の版として読むほうが近い。
それから、原始仏教の用語(二の矢、無我、降伏)と科学論文が交互に出てきます。どちらか一方だけを期待すると読みにくいはずです。
ワークの数も多く、全部やろうとすると止まります。版元サイトで立ち読みPDFと参考文献PDFが公開されているので、合うかどうかは先に確かめられます。
おわりに
本書がやっているのは、性格を変えろという話ではありません。もともとの性格は変えずに、自分を縛るノイズを減らす。版元の紹介文もそう書いています。
本書を読んで変わったのは、苦しみを減らそうとする方向ではなく、いま自分が何に抵抗しているのかを先に確かめる癖のほうでした。二の矢はまだ抜けていませんが、刺している側が自分だと分かっているぶん、以前より静かに扱えている気がします。
TSUME
ブログ運営者
TSUMEノートは、人生の4本柱(人間関係・健康・お金・学び)を少しずつ良くするための読書メモです。アパレル業界で約20年、店頭のアルバイトから店長、最大8店舗のスーパーバイザーまで経験し、40代でフリーランスになりました。独立を視野に古物商の資格も取り、いまはテニス関連の仕事とファッションのスタイリングをしています。30代後半から続けている読書が、読んでくれた方のヒントになればうれしいです。
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