「人はなぜ、それを買うのか」。この問いに、進化心理学から答えようとしたのが本書です。著者の鈴木祐氏は、『最高の体調』『ヤバい集中力』などで知られるサイエンスライター。年に数千本の論文を読み込む“文献オタク”として知られる人が、大量の研究をもとに、消費行動の奥にある「人間の本能」を8つに整理しました(2022年・すばる舎)。

「8つの本能」という物差し
土台にあるのは、「生存」と「生殖」という2つの大きな欲求。そこから枝分かれした8つの本能——安らぐ/進める/決する/有する/属する/高める/伝える/物語る——で消費行動を読み解きます。たとえば松竹梅で「梅(真ん中)」が選ばれやすいのは、極端を避けたい「安らぐ」本能が働くから、という具合です。
読み物というより、ワークブック
構成は、Prologue(考え方)→ Stage1(8つの本能を知る)→ Stage2〜3(どの本能が刺さるかを分析し、増やす)→ Stage4(62の技法で実装)→ Epilogue(運用)。手を動かして自社商品に当てはめていく作りで、レビューでも「歯ごたえがある」「実践に時間がかかる」という声が目立ちます。読んで終われば、何も残らない。
心に残るところ
- 消費を「感情」や「性格」で片づけず、進化の視点でとらえ直す発想。
- 「共感マップ」で特定の一人を思い描き、その思考と感情を具体的に想像する手法。
- 商品を7つの問い(SEIQ)で見直し、刺さる本能を増やしていく——アイデア出しの型として使えます。
緑茶の香りが、記憶を連れてくる
五感に訴える仕掛けの効きめを、忘れられない形で経験しました。セレクトショップ時代、来店されたお客様にはおもてなしのお茶をお出ししていたのですが、マリアージュフレールの「テ・シュル・ル・ニル」という緑茶ベースのブレンドが評判で、特に夏場はアイスティーにしてお出ししていました。すると、その香りと味を覚えていて、「あのお茶をもう一度」と再来店してくださる方が現れるんです。
商品ではなく、香りの記憶が人を連れ戻す。本書の説く「本能に刻まれる体験」は、理屈より先に、鼻と舌が覚えているのだと思います。
アウトレットに出すと、何が薄まるのか
希少性は、本能に近いところで効く力です。だからこそ、自分の手でそれを薄めてしまうこともあります。
アウトレットに展開すると、そのカテゴリーだけの話では済みません。ブランド全体の見え方が変わっていきます。定価で買うありがたみが減り、プロパーで買ってくださっていたお客様が離れていく。買い求めやすくなることで客層が広がり、それがブランドの印象そのものを動かしていきます。
短期の売上と、長期の価値の衝突
短期の売上と、長期のブランド価値。この二つが正面からぶつかる場面を、売り場では何度も見てきました。八つの本能に刺さる設計は、裏返せば、刺さらなくする設計にもなり得るのだと思います。
枠組みの出どころと、進化心理学への批判
ひとつ補助線を引いておきます。「進化論でマーケティングを説明する」枠組み自体は、もともとカナダの研究者ガッド・サード氏が体系化したもので、著者の発明ではありません。そして進化心理学には、「化石に残らない心を、いかにもそれらしく後付けで説明している」という根強い批判もあります。本書に出てくる「◯◯すると売上が数倍」といった数字も、出典を確かめたくなるところ。なので「本能ですべて説明できる」と鵜呑みにするより、「仮説を立てるための強力な道具」として使うのが、いちばん誠実で実用的だと思います。

こんな人に
コピーや商品設計で、いつも同じ切り口に頼ってしまう人。顧客インサイトの“仮説の引き出し”を増やしたいマーケ担当の人に。
おわりに
読むだけで完結する本ではありません。手元の商品を8つの本能に当てはめ、ワークをやってみて、はじめて効いてくる。少し骨は折れますが、「なぜ売れるのか」を自分の頭で分解できるようになる——そんな歯ごたえのある一冊でした。
📖 『ヒトが持つ8つの本能に刺さる 進化論マーケティング』 鈴木祐



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